2003.08.29日刊新周南より                                    

9月4日は「櫛浜の日」
航空写真で変遷たどる講演会
櫛ケ浜
張り切る左から田中、冨永、浜田さん

●周南徳山●

華雲塾がウオークラリーも

 周南市櫛浜地区のまち起こしグループ、華雲塾(青木義雄塾長)が「くし」のゴロ合わせから9月4日を“櫛浜の日”に制定し、午後7時から櫛浜コミュニティセンター集会室で「空から見た櫛浜の変遷」講演会を開く。さらに5日から30日まで講演会で使った航空写真を山口銀行櫛ケ浜支店に展示し、6日は子供たちを対象に喜右衛門ウオークラリーを開く。
 同地区は1889年(明治22)に大島、粭島と合併して太華村になるまでは櫛ケ浜村、栗屋村だった。太華村は櫛ケ浜郵便局や漁港の櫛ケ浜波止場、大正時代には徳山鉄板も進出して発展し、1940年(昭和15)に櫛浜町になり、1944年(昭和19)に徳山市と合併した。
 櫛浜の日はこの街の歩みを知る機会にと昨年から準備してきた。航空写真は塾のメンバーで土地家屋調査士の冨永弘さん(45)が国土地理院から購入した4枚を持っていたため、3枚買い足して1948年(昭和23)から2001年(平成13)までの航空写真7枚をそろえた。
 1948年の写真では、海岸近くに塩田があり、現在は周南緑地公園東緑地のグラウンドになっている地帯には地下タンク跡が残り、山も伐採されて樹木がなくなっている。その後の写真では海岸に競艇場ができて埋め立てが進み、地下タンク群は公園になり、水田が住宅地になっていく様子が読み取れる。
 講演会のあとは懇親会も開き、航空写真を見ながら話し合う。講演会は参加無料。懇親会は参加費2000円。また山口銀行櫛ケ浜支店の写真展は航空写真以外に昔の櫛浜の風景写真も加える。
 6日のウオークラリーは同地区出身で、藩制時代、長崎湾口で沈没したオランダ船を独自に工夫した大規模工法で引き揚げてヨーロッパにまで名を知られた村井喜右衛門にちなむもの。
 子ども会育成会、母親クラブ、児童館が協賛し、午前9時に児童館集合。4〜7人のチームが白壁の商家が残る通りを通って原江寺を目指す。
 冨永さんや会社員の田中浩二さん(46)、アマチュア写真家の浜田心仁さん(39)らメンバーたちは「住民がこの街に愛着を持ち、住み続けたいと思えるようになってほしい」と期待している。問い合わせは青木さん(090・8360・5803)へ。